2017年7月30日

中国の物価

中国では広すぎるので、広州と言うことにする。

中国というと粗悪なイメージを持つ人が多いが、広州は大都市なので世界中から企業が来ていて、言葉が違うだけで新宿と何ら変わらない。

セブンとファミマ、マックとケンタッキー、吉野家とすき家、無印とユニクロ、イオンとダイソー、H&MとGAP、サイゼリアとスターバックスがある。

これらの店は、日本よりも若干高い。
ダイソーは10元(150~200円)ショップ。

ユニクロの下着は日本の3倍くらいの値段。
アディダスとかナイキとか、スポーツのブランドは特に高い。
スタバでコーヒーと軽食を頼むと50元(750~1000円)を越える。

地元のローカル店は10元(150~200円)程度で1食食べられるので、外資のチェーン店は、ちょっと高いけど良いものという位置づけで存在する。

地方に行くと安いらしいので、日本と中国の差よりも、都市と地方の差のほうが大きいのだと思う。
そういう意味でも、やはり日本と中国は同じだ。

パソコンや携帯は日本と同じ値段。
だが給料は日本の1/3程度。

物の値段は高い。サービス(人間)は安い。
タクシーの初乗りが10元(150~200円)。
バスで終点まで行って2元。
地下鉄も終点まで行って10元程度。
交通費はかなり安い。

200円で1食食べられる店の隣に、1億円のマンションを売る不動産屋がある。

 

多くの外資が流れ込んできていて、地元に定着しているものもある。
それに伴い、物価が上昇していて、給料も上昇している。
頑張れば給料が高くなるので、やる気に溢れている。
どうせ上がらない。という日本とは違う。

 

店単体では日本と大差無いが、街全体はあまり綺麗ではないし、粗悪品も大量にある。
だからこそ、この成長はしばらく続くように思う。

物乞いも珍しくないので、格差によってどんな問題が起こるのか?気になるところだ。

もしも中国が日本のように「どうせ上がらない」状態になったとき、全世界が不況になりそうで、全世界の課題だと思っている。

2017年7月23日

残り1年

中国に来て1年8ヶ月が経ち、残り1年になった。
来年の7/1に日本に帰る予定だ。

1年目は良い点ばかり見えていたが。
2年目は悪い点が多く見えた。
3年目はどうなるだろうか。

その間に変わったことも多くある。
それはここに書いていきたい。

1年間ほとんどブログを書かなかった。
TwitterやFacebookがあって、書きたいという欲求は満たされてしまった。

けれども、後から見直した時、やはり残るのはブログだと思う。

本当は7/1から書きたかったのだが、やる気が起きなかった。
リハビリが必要だ。

日本に帰ってからどうするのか?
そのための準備に1年をかける。

私は、またここに戻る。

2017年5月1日

仕事とは何か?

工場で鉄を削ることと、オフィスで設計をすること。
数字を追い求めることと、機能の無いジュエリー。
日本の仕事と、中国の仕事。
全ての共通点が判れば、それこそが仕事の本質だろうと考えた。

 

交換経済、贈与経済、貨幣経済。
お金とは利便性のためにあるもので、絶対必要なものではない。

交換経済では、肉と魚を交換するとして、優劣があるものではない。
お客様が神様だ。などという考え方は無い。

贈与経済では相手との関係を大切にしなければならない。
仕事を休んで親戚の御見舞に行く。というのは至極まっとうな理由になる。

都市部では、ドライな人間関係で仕事は金のためと割り切れるのかもしれないが、地方もしくは別の国では違うのかもしれない。

中国人は全然残業をしない。
単に真剣さとか効率の問題だけではなく、貨幣経済に囚われている私こそが間違っているのではないかと思うようになった。

金を欲しがるのは人、払うのも人である。
人無くして仕事は成り立たない。
仕事に金は必要ではないが、人は必要である。

 

仕事とは、願いを叶えることだ。

 

交換経済では
肉が欲しい、魚が欲しい、お互いの願いを叶えることができる。

贈与経済では
挨拶や食事をすることでさえ、願いを叶える対象となる。

貨幣経済では
労働力が欲しい、金が欲しい、お互いの願いを叶えることができる。

だから、店員より客が偉いとか、社員より会社が偉いなんてことは間違っている。

根源にあるのは、願いを叶えることだ。
その点において、全て平等である。

高機能でスペックの高いパソコンだろうと、飾るだけのジュエリーだろうと、願いを叶えられるならば価値ある商品なのだ。

以前考えた答えに、幸福の最大化がある。
それは間違っていなかった。

 

仕事とは、願いを叶えることだ。

客の願い、上司の願い、部下の願い、自分の願い。
叶えられないならば、仕事など、会社など、行いの全ては無価値である。

誰かを貶めて他方を叶えたところで、それは右から左へ流しているだけ。
何も生産していない。
幸福の最大化、願いを叶えること、それこそが仕事であり。
モノづくりの「物」に代わる、生産すべき対象である。

 

自分の願いは何か、伝えること。
相手の願いは何か、読み取ること。
それを叶える能力を持ち、実行すること。

私はそうありたい。