2014年7月20日

手段と目的

手段と目的は違う。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないが。
本当にそうだろうか。

 

3Dプリンタで造形しているのは、だいたいは造形物が目的だろう。
だが、それが3Dプリンタの部品だったらどうだろうか。
3Dプリンタで3Dプリンタを作る。
手段が目的になってしまうことがある。
結果は問題ではなく、大切なのは過程だ。
少し前まで、それは面白いと思っていたが。
最近は、誤りではないかと思い始めた。

 

3Dプリンタの組み立てキットがある。
それでは自作とは違う。
では、自作にモータやATX電源を使う。それはいいのか?
制御回路、エクストルーダ、モータブラケット、カップリングを買うのか、作るのか。
ネジ1本やコンデンサを自作しようとは思わないだろう。
3Dプリンタが目的ならば完成品を買えばいい。
自作したい場合、目的は作る行為であり、部品を買ってくるのは手段。
造形品が欲しい場合は、造形品を買えばいいし。
無理に3Dプリンタを使わず、外注でも構わないだろう。

 

判りにくいので別の例えをする。
鉄鉱石から鉄を作る。
鉄から鉄板を作る。
鉄板からドアを作る。
ドアから自動車を作る。
製鉄所では、鉄鉱石が手段で鉄板が目的。
自動車メーカーでは、鉄板が手段で自動車が目的。
他にも、荷物を運んだり、快適なドライブが目的になったりするだろう。

 

手段は器。目的は幸福。
幸福とか価値のような曖昧な言い方しかできないのは、目的が立場や状況により変動するから定義できないのだろう。
目的、幸福、価値、それらが何であるかの絶対的な解が出ることは無いのだろう。
だけれども、3Dプリンタを作るためにコンデンサを自作することは無い。
自動車を作るために、鉄鉱石を探しに行くことは無い。
なぜならば、買ってきたほうが早いから。
では、なぜ3Dプリンタや自動車を買ってこないかというと、そこが目的だからだ。
何が目的で、何が手段であるか。
その場合は明確である。

 

目的、幸福、価値の絶対的な解は存在しない。
同時に。
目的、幸福、価値が何であるか、明確でなければならない。
それは、誰からも与えられない。
己で見つけるしかないもの。

 

ここは大海原である。
あなたはボートに乗ってオールを掴んでいる。
双眼鏡を覗いて灯台を探す。
羅針盤を見て、方向を決める。
それこそが、目的、幸福、価値を定義するということ。
水も食料も無いから、このままでは死んでしまう。
嵐が来て沈んでしまうかもしれない。
決められたレールや安心安全な社会システムは幻。
誰かの手の上で踊るだけでいいのか。
それとも、何もせず海の藻屑となってしまうのか。

 

曖昧なままではダメだ。
目的が何なのかを決めろ。
そのための手段は、いつ、誰が、何を、どうやって。
決めて、手を下さなければならない。
支払わなければ得られないのだ。
それはきっと、生きることそのものだったのかもしれない。

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