手段と目的は違う。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないが。
本当にそうだろうか。
3Dプリンタで造形しているのは、だいたいは造形物が目的だろう。
だが、それが3Dプリンタの部品だったらどうだろうか。
3Dプリンタで3Dプリンタを作る。
手段が目的になってしまうことがある。
結果は問題ではなく、大切なのは過程だ。
少し前まで、それは面白いと思っていたが。
最近は、誤りではないかと思い始めた。
3Dプリンタの組み立てキットがある。
それでは自作とは違う。
では、自作にモータやATX電源を使う。それはいいのか?
制御回路、エクストルーダ、モータブラケット、カップリングを買うのか、作るのか。
ネジ1本やコンデンサを自作しようとは思わないだろう。
3Dプリンタが目的ならば完成品を買えばいい。
自作したい場合、目的は作る行為であり、部品を買ってくるのは手段。
造形品が欲しい場合は、造形品を買えばいいし。
無理に3Dプリンタを使わず、外注でも構わないだろう。
判りにくいので別の例えをする。
鉄鉱石から鉄を作る。
鉄から鉄板を作る。
鉄板からドアを作る。
ドアから自動車を作る。
製鉄所では、鉄鉱石が手段で鉄板が目的。
自動車メーカーでは、鉄板が手段で自動車が目的。
他にも、荷物を運んだり、快適なドライブが目的になったりするだろう。
手段は器。目的は幸福。
幸福とか価値のような曖昧な言い方しかできないのは、目的が立場や状況により変動するから定義できないのだろう。
目的、幸福、価値、それらが何であるかの絶対的な解が出ることは無いのだろう。
だけれども、3Dプリンタを作るためにコンデンサを自作することは無い。
自動車を作るために、鉄鉱石を探しに行くことは無い。
なぜならば、買ってきたほうが早いから。
では、なぜ3Dプリンタや自動車を買ってこないかというと、そこが目的だからだ。
何が目的で、何が手段であるか。
その場合は明確である。
目的、幸福、価値の絶対的な解は存在しない。
同時に。
目的、幸福、価値が何であるか、明確でなければならない。
それは、誰からも与えられない。
己で見つけるしかないもの。
ここは大海原である。
あなたはボートに乗ってオールを掴んでいる。
双眼鏡を覗いて灯台を探す。
羅針盤を見て、方向を決める。
それこそが、目的、幸福、価値を定義するということ。
水も食料も無いから、このままでは死んでしまう。
嵐が来て沈んでしまうかもしれない。
決められたレールや安心安全な社会システムは幻。
誰かの手の上で踊るだけでいいのか。
それとも、何もせず海の藻屑となってしまうのか。
曖昧なままではダメだ。
目的が何なのかを決めろ。
そのための手段は、いつ、誰が、何を、どうやって。
決めて、手を下さなければならない。
支払わなければ得られないのだ。
それはきっと、生きることそのものだったのかもしれない。
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